詩を救うための音楽??榎本櫻湖『増殖する眼球にまたがって』/葉leaf
た。
このムシケーから音楽的要素を取り去ったものが散文となり、散文的要素を取り去ったものが音楽になった、というのが分かり易い解説である。だが、言葉はついに音楽的であることをやめなかったのではないだろうか。言葉は声として発されるとき、必ず何らかの音色を持ち、何らかの抑揚を持ち、何らかのリズムを持つ。それは標準的な記譜にはなじまないものかもしれないが、声として発された言葉は、それがギリシャ語であれ日本語であれ、そのような音楽的要素を備えるのである。そして、これは言葉が文字で書かれたときも同様である。純粋な黙読というものは想定しがたく、声を発さずに言葉を読んでいるときでも、人間の頭にはその言葉の
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