詩を救うための音楽??榎本櫻湖『増殖する眼球にまたがって』/葉leaf
 
葉の音声がうっすらと再生されているものである。黙読していても、人間はその言葉の音楽を感じ取ることができる。
 だとすると、言葉から離れた音楽というものはいかにして存在しているのだろうか。言葉は、それが読まれるときでも音韻的な在り方をしている。その音韻を超えたところに詩の音楽の在り処はあるのではないだろうか。実際、器楽曲においては言葉とは次元を異にした音楽が奏でられているのであり、器楽曲の体系は言葉の意味とは別の意味を生み出している。それは、言語的なメッセージには回収されない音楽独自の印象であり、ある種の内容を伴った装飾である。
 さて、上掲した榎本の詩を読んでみよう。この詩には言葉に伴う音韻的
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