多義性のデザイン(アスパラガスさん讃3)/渡邉建志
読者それぞれが定義しうる多義性を持っている。
その自由を与えられている。
そのうえで僕は、納得してしまう。
そうか。「ぼく」は「きみ」の「日なた」なのか。そうか、そうだよね。
だって2回も言うのだもの。だって、君は2回も言うのだもの。
1度見れば日なたは日なただって、ふつうわかる。だって、明るいし。
でもアスパラさんは2回言う。
きみの日なた
日なただよ
って言う。これは、明らかに届けようという意志が働いているのだとおもう。
「ぼく」が「きみ」の日なただって、気づいていないのかもしれない。
いや、たぶん気づいていない「きみ」のために、2回書かれている。
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