多義性のデザイン(アスパラガスさん讃3)/渡邉建志
 

強く訴えかけてきている。
この、「きみは気づいていないかもしれない」性。そこに僕は激しく打たれる。
「とじ込められ」ているのは、「ぼく」が、
きみだけ(!)のための「日なた」だからかもしれない。
もしかしたら空の上から「ぼく」はそう言っているのかもしれない。
もはや妄想すぎるけれど、どんな暗い絶望的な状況にいるとしても、僕のために、
だれかが、僕だけのために閉じ込められた日なたでいてくれて、
きみの日なた、日なただよ、って言ってくれることがあるかもしれない。
だから僕は生きなくてはならない。

僕はあまりにもこの詩が好きだ。
僕はこの詩に熱狂しているし、熱狂は誰かに伝わる。
それが伝わるとき、生きているということに僕なりに意味がある。
そうやって生き続ければ、僕なりに誰かの日なたになれる日がくるかもしれない。
アスパラさんがこの詩を通してくれた、日なた、
アスパラさんが上空500メートルのスケートリンクに行ってしまってからもずっと、
僕の心に残り続けている、暖かい日なたのように。

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