たなかあきみつ詩集『イナシュヴェ』について/葉leaf
れ、また探られていくのである。例えば「風のレンズで発吃しては」という詩行を見てみよう。風を感じるのは触覚であり、レンズをのぞくのは視覚であり、吃音の感覚は体性感覚である。だが、この詩行から読者の受けるイメージは、一つの感覚に限定されないイメージであり、それらの諸感覚が連合して一つ高次のものになったイメージであろう。
指先で撃ちおとされる前に永代橋から左方向を眺めれば
トラックの群れがぎしぎしジュラルミンの隊列をなして
象のたわんだ鼻のようにスロースローで生き急ぐ
ブランコなればこそよじれても影の肢体は着地せよ
命綱のタップダンスのかかとをもっと気ままに踏み鳴らせ
影のゆれにゆれ
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