岸田劉生「写実論」を読み解いて考える、批評とは何か/中川達矢
、結合の密度をも選択している。「なぜ、作家はこうした要素を用いて、このように結んだのか」という疑問こそが、批評家を批評へと駆り立てる原動力にもなり得るが、数字や図式には、そうした「なぜ」が問題となることはないだろう。こうした分析は単なるオリジナルのコピーであり、批評家および作家のauthorityを希薄化させてしまう。批評がオリジナルになるためにはauthorityを保持しなくてはならない。
では、批評におけるauthorityとは何か。ここで、答えになっていない答えを提示したい。それは劉生が述べた「内なる美」だ。批評は批評する人間によって書かれる。その人間には、一人一人によって異なる「内なる
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