批評の言葉(メモ)/中川達矢
のとしてイメージすればよいだろう。これはどういうことか。
ソシュールの記号論は、シニフィアンとシニフィエの恣意性という主張ばかりに目がつけられる。だが、彼は、言葉の線条性という性質も指摘している。この性質を一概には説明できないが、これも例によって考えたい。
「サッカーについて描写しなさい」と言われた時、どのようにこたえるだろうか。映像や画像であれば、一続きの動画や一枚の絵によって、瞬間的に示すことができるが、言葉ではそうできない。確かに「サッカー」という文字によって、「サッカー」そのものを読者に提示できるのだが、それもまたコンテクストの共有によって、伝わるイメージは異なってしまう。伝えるべき
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