木は孤独だろうか?/すみたに
 
れは本当に木のようだと思った。しかし、木というのは木であると意識したり、突っ立っていると思ったりしないだろう。動くという基本的な能力があってこそ、ただ棒立ちするという退屈が生まれてくるのである。そしてそう、これは酷く退屈な役であり、暫くじっとしていると身体がむずむずと動きだし、腕や脚に思いっきり力を込めて暴れ回りたい気分になった。
 真っ暗な体育館の中、スポットライトの当たる舞台の上で台詞を言う子どもたち、ただ棒立ちする私、観客のない劇、ただ教師が目を光らせている。出番ではないため自由を与えられ、闇に紛れて広い体育館を走り回り戯れる子どもたちを見た私はそこに不吉さを感じた。それは、彼らの走ってい
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