【HHM参加作品】「yo-yo「紙のおじいちゃん」について」/葉leaf
セルの小学生をからこうてみたり/啓蟄や夏越や爽やか赤蜻蛉やゆうて/昆虫のように季語を追いかけはってた/おじいちゃん」このように、紙でなかった頃の「おじいちゃん」が受け手にとって大きな時間の中でとらえられる。紙でなかった頃の「おじいちゃん」がとても大事な存在であったことが、これらの時間の集積によって読み手にも伝わる。そこでもって、「いつのまにか/紙のおじいちゃんになってしもて」が大きな落差とドラマを生み出すのである。人間が紙になるのは世界が許容しないが、そのような世界の規範を破ると同時に、人間が紙になるということの多様な解釈可能性、つまり多義性を生み出しているのだ。このような多義性の混沌の中に読者を
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