【HHM参加作品】「yo-yo「紙のおじいちゃん」について」/葉leaf
 
ことによって、その場での様々な仕方での消費を生み出すのである。多義的であるから、何か特定の目的を志向するわけでもないので、読者はそれを指定された目的に沿って使用する必要もなく、好きなように解釈し、好きなようにしてその場で消費してもよいのである。つまり、読者は目的を一義的に設定して労働することなく、多義的な目的のただなかへ自らを投げ込み、その可能性の緩い刺激を楽しむ事ができるのである。
 だから、詩のテキストでは目的連鎖からの逸脱が可能である。詩は言語の可能性を用いて様々に脱臼させられ、論理や物語や目的連鎖の継ぎ目がことごとく破壊され、そこには混沌や始原的なものが出現する。現実を規律している様々な
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