【HHM参加作品】「yo-yo「紙のおじいちゃん」について」/葉leaf
 
ておこう。だが、「おじいちゃん」が紙になるのはとても悲しい負の出来事だったが、「私」が紙になるのは、何か新しい旅立ちであるかのように描かれている。ここで、人間が紙になることの両義性が明らかになっていると言えよう。つまり、人間が紙になることはある場合にはネガティブだがある場合にはポジティブなのである。ここで、人間が紙になることが多義的であったところに筋道が入れられる。それは、ポジティブ/ネガティブという両義性によって秩序付けられてくるのである。ここでも、yo-yoの態度は、安易に混沌に流れるのではなく、何らかの筋道の中に破れ目を作ることで、一層その破れ目の混沌を際立たせるというものである。しかも、こ
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