リルケから若き中島敦への手紙/すみたに
 
、と同僚は思い起こすわけだが、
 その足りなかった何かとは、まさにここでリルケが言ったことであろう。
 なにを言われる前にも既にぐらついている自信など、
 なにごとか批判的なことが述べられた途端崩壊し、
 詩作を止めるという結論へと容易に導かれただろう。
 だから自己防衛的に彼は、詩作への意志を喪わないために臆病であった。
 彼はリルケのいう、「書かずにはいられない根拠」をもっていたには違いない。
 けれども彼はそれを探り、掘り出し、確かにしていなかった。
 確かにしていれば、もう臆病の対象が消えてしまう。だから、それが救いであった。
 
 こうして彼はその追究をある瞬間悟った
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