続続・田村隆一詩集 現代詩文庫を読む/葉leaf
 
れることになれる「ボードレールと私」というエッセイで、ボードレールの『悪の華』を諧謔の産物とみなしています。西脇は老境に達するにつれ、ウィットや軽みや諧謔や無の方角へと傾いていきますが、その「遊び」への志向はすでに『超現実主義詩論』の一見厳しそうな詩学にも胚胎されていたといえるでしょう。
 「遊び」とは、その根源的な無償性によって特徴づけられます。遊ぶ者は、遊びに様々な資源を費やしながらも、それを何か生産的な目標に寄与させることを拒みます。遊びは、現実のさまざまな規律から逃れ、自由に自らを費やしながら、遊びそのものを目的とする行為です。遊びは外に目的を持たないその自由さによって、かえって外の現実
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