手慰み/MOJO
 
い、文学というものが解りやすい例え話で説明されていた。例えばこんなふうに。
 世界に受け入れ難い魂が片隅に追いやられ、壁際に押しつけられるとき、魂は壁を蹴り、その反力を利用して自分の行くべき所を探しにゆく。
 私は直感的に「これは正しい」と感じた。吉行はこんなことも書いていた。萩原朔太郎の詩についての解釈で、その詩には食器のフォークが「ふぉーく」と表記されていて、これは「ふぉーく」でなければならず、「フォーク」だと、この詩は成り立たない、と主張していた。何かよく解らないけれど、それは正しいこだわりなのではないか、と思った。
 以来、吉行の著作を読み耽った。最初はエッセイを、エッセイがあらかた
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