風呂場の鏡/桐ヶ谷忍
良かったと思える程度には、今の私は幸せになった。
中古ではあるがマンションを買い、実家に預けていた愛猫とも
暮らせるようになり、夫の会社側に私が自殺未遂をした事が
伝わっている為、去年までよりは夫も、それほど遅くならず
帰宅してくれる。
だが反面、それでもやはり死は私にとっていまだに夢であり
それは多分、死にたいと思う年月が自分の年の半分近くを
過ごしてきた人間の習性のようなものなのだ。
死にたいという理由がなくても、死に憧れる。
同じように、喜怒哀楽を表に出しても良いという境遇になった
今ですら、私の顔は無表情なのだ。
無論、人と会えば、これもまたいじめを受けて
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