風呂場の鏡/桐ヶ谷忍
仏教に対する考え方、に手が
届いたかどうかという、いわゆる棄教が出来てから一年か、二年か、
私は去年の夏、自殺しようとした。
理由は様々ある。
例えば、その頃、神経症の病気がいくつか重なって辛かったり、
朝から夜遅くまでずっと独りで過ごすさびしさであったり、
生まれてからずっと何十年も、精神的支柱であり続けた本尊を
喪失してしまった衝撃であったり。
そしてそんなつらい情況であるにも関わらず、父の心無い一言が
とどめとなり、私はいともたやすく、死のうと考え、実行に
移した。
全て、無表情の内に決めた事だった。
結果はご覧のとおり未遂となってしまったわけだが、それで
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