尾崎放哉と自由律俳句についてのメモ/……とある蛙
いる 放哉
動詞二つがあり、二つの擬似文が俳句的統語作用によって一つの俳句となっている。
放哉は社会的な脱落者である。俳人には珍しい一生をおくっているとも言える。俳句は余技としての俳句が多く、俳人は廃人ではなく、常識的な社会人が多い。
何故脱落者になったか。つまり、放哉は帝大出のエリートとしての自意識が過剰で、結果的に社会になじめなかった人物と考えられている。
エリートサラリーマンがなじめず寺男になった放哉だが、常に鬱屈を持って人生を生きている。その句は日常風景を詠みながら、自意識が投影された句になっている。
漬物樽に塩をふれと母は産んだか
通常の寺男はこ
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