尾崎放哉と自由律俳句についてのメモ/……とある蛙
 
はこんな事は思わない。放哉の持つ自意識から出た句である。
 
放哉は自由になるために寺男になったのでは無くて、人間関係を処理できない過剰な自意識から寺男にならざるを得なかったと考えるべきである。おそらく厭な奴だったのだろうと思う。

 結局、彼の自由律俳句にもそれは投影されている。
つまり、放哉は定型(サラリーマン生活)から自由だったのではなく常に不安定な状態だったのでは無かったか。

あの有名な

   せきをしてもひとり

という句から絶対的な孤独感が感じられている。とても不安定な句でこれ自体おかしみも感じられるが、社会的に不適合な人間の絶望の裏にあるおかしみである。。
放哉は社会環境に対する不適合者だったのだと考えられる。
 
 当然限界は有ると思う。彼は 最後、どんな気持ちで鬼籍に入ったのだろうか。

 私が思ったのは住宅賢信もそうだが
 自由律俳句というのは、本当に言葉の選択に関する感性が必要な詩形だと思う。そのような観点から自由律俳句というのは天才か追い込まれた人間にだけ許された詩形だとあらためて思う。


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