祈り/瀬崎 虎彦
 
だからある隠喩として、その強大な力が弱い生き物に加えられるさまを、乗用車のタイヤが子猫の頭蓋骨を粉砕した瞬間に看取したことで、あるいは予見してしまったことがわたしをおののかせた。とすると、わたしは目前の死そのものに動揺したのではない。子猫の死がなにであったのか、ということは問うことが出来ない。ただ結果としてわたしはおののいた。それだけがわたしの実感として率直に真実である。

 ただし、時をおかずして感傷が訪れる。この生命は苦しむためだけに生まれてきたのだ、という言葉によって作られた幻影がわたしを支配しようとする。これまでに、幸いを覚えたことがあっただろうか、という言葉が追い討ちをかける。しかし
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