祈り/瀬崎 虎彦
 
かし不幸な最期を、それまでに経験した幸いが贖うものではないことをわたしは理解している。なにかに対する代償ではなく、意味の等価交換はそこに存在しない。それは形而上の操作に過ぎないからだ。では、この目前の死はなにか、という問いは先ほどの実感にわたしの思考を還元する。

 およそ1000キロから2000キロの重量が乗用車にはある。想像してみる。仮に200キロの重さでひしがれたなら、わたしの頭蓋骨は簡単に砕ける。生まれて間もない猫の場合、砕けるという言葉では大げさに過ぎるほど容易に破壊される。しかし生命はその瞬間に去るものではない。猫の柔軟な体は、脊髄を走る神経が断絶されることを許さなかった。痛みは最大限のものであり、それに対する反応も最大限の運動で現れるが、そこには音がない。視覚と聴覚もまた踏みしだかれている。おそらく、出血により、または呼吸困難により(気道はもはや、ない)、そしてショックにより、心停止するまでの間、その間。

 雨に濡れ、汚れた肢体が弛緩して横たわる。車が次々と通り過ぎてゆく。
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