文学的なものと哲学的なもの/kaz.
 
私」とが、はっきりと区別されている。本当のことを言おうとした「私」と、それを否定する別の「私」がいるために結果として語ることのできなかった「私」とが、それぞれ存在している。そしてそのような主張もまた、一つの解釈としてこの「私」の中にある。ところが、円の外側、つまり非解釈の領域には、解釈する「私」は存在しない。どんな「私の死」も用意されてはいない領域において、「私」は語ることはできないのである。しかし、語れないということが、現に語ることができてしまっている以上、解釈の水準は文学的なものに引き上げられている。語ることのできなかった「私」は、語られてしまった「私」に変質してしまう。すると、語ることのでき
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