文学的なものと哲学的なもの/kaz.
とができるのだ。発散と収斂とを一つにレイヤーに重ね合わせることで、今度はその中心を見出すことができる。そうなると、もう発散しているのか、収斂しているのかを考えることに意味はなく、ただ描かれた円の内側にあるか、外側にあるかというだけで区別されるようになる。それは解釈と非解釈の境界である。文学も哲学もすべてが一つの解釈の円のうちに収まってしまい、さらに収まった円の中心を貫く一つの哲学とその周辺があるのだ。このとき現れる境界のもとで「私」は語る。
最初、「文学的なものは、何かを語ることができないように作られている」と言ったが、この重なりのもとでは、語ることのできる「私」と、語ることのできない「私」
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