文学的なものと哲学的なもの/kaz.
 
のだ。だから、「私は死んだ」と語ることは決してないし、その発言それ自体のうちに疑問を呈することはあっても、その疑問は発言が成功しているかどうかを問うものでしかない。

一方、哲学的なものは、むしろそうした発言のまとまりを、一つの足場にして受け入れようとする。小説や詩の一部、クッキー占いの包み、ネットの掲示板にあった「私は死んだ」という語りが、「本当に『私は死んだ』のか?」という疑問につながっていく。これは、「実際に『私は死んだ』と語ることができるのか」という水準の疑問とは全く異なる。具体的な形態として成功するかどうかではなく、それ以上の「本当のところ」を求めようとする。そのため、論理の一つ一つ
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