器官なき身体の覚書2/イリヤ
体である。砂漠の全域をひたすリビドー、問題にされるのは群集の領土化か群れの脱領土化か?個人的な言表などはない、と言った。そんなものは決して存在しない。あらゆる言表は、ひとつの機械状アレンジメントであって、集団的な動作主体の産物である。だが、固有名というものは、一個人を指示するものではない。個人がみずからの真の名前を獲得するのは、非人称化の果てに開く、多様体に向きあった自己自身を得たときである。人称を捨象するというバプテスマ。固有名詞とは、ひとつの多様体の刹那的な把握である。しかし、精神分析は多様化に対し何を理解しているだろうか。去勢、去勢?それは狼たちの群れに、ひとつの孔、ひとりの父親しか見ておら
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