田村隆一論??フィクションの危険/葉leaf
要求するものである。田村の詩を、田村の書いた言葉として経験すると同時に、非現実の語り手による語りだとして経験する、これが田村の詩のフィクション的な読み方である。
ところでウォルトンの言う想像とは、以下のようなものである。第一に、想像とは、何かの像を思い描くということではなく、一定の命題的な内容が真であると考える、ということを意味する。第二に、想像は、作品によって促された非現実なものだけではなく、当の作品に関する想像でもある。田村の詩に鳥のモチーフがあって、そこから鳥をめぐる様々な想像をめぐらしたからと言って、それが直ちにフィクション的な想像であるわけではない。その想像は、同時に田村の詩に関して
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