田村隆一論??フィクションの危険/葉leaf
 
語行為、あるいは真実を主張する意図を中途半端に持ちつつも、修辞や自分の無責任さのためには多少虚構が混じってもかまわないという態度を併せ持ちながらなされる言語行為だというのが正しい。だから、読者はどう反応してよいのか分からない。読者の反応の仕方は慣習によって指定されていないし、田村によっても明確に指定されていない。

1.3.語用論的フィクション(2)――ごっこ遊び理論

 ケンダル・L・ウォルトンは、フィクションを受け手の側からとらえた。彼によれば、フィクションとは、その受け手に、作者が記した言葉を読むという現実の経験と、ある非現実の語りを読むという経験を、想像の中で重ね合わせることを要求
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