田村隆一論??フィクションの危険/葉leaf
のだ。
ここで注意しなければならないのは、田村が完全に虚構的な発言をしているわけではないということである。田村の詩の行っている発語内行為は、命令や約束といったように、社会的慣習によって相手に求められる反応が決定されている、そういう行為ではない。つまり、強圧的に命じた行為を行わせる(命令)、信頼関係に基づいて誓った行為を行わせる(約束)、そのように相手の反応を固定的に要求していないのだ。田村の詩の行っている発語内行為は、いわば過失的に虚構になってしまった語りである。あるいは、虚構になってしまってもかまわないという態度でなされる語りである。真実を主張する行為と虚構を語る行為との中間で揺れ動く言語行
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