田村隆一論??フィクションの危険/葉leaf
フィクションを「フィクションを語る」という独立した発語内行為だと考える。虚構的な発言は創造のために用いられるという点で事実的な言明から区別される、その意味で独立した発語内行為なのである。
眼に見えないものは
存在しないのだ
(「ある種類の瞳孔」)
ぼくらは眼を閉じて見なければならぬ
(「虹色の渚から」)
この二つの詩行は、同じ『新年の手紙』という詩集に所収されている。ところがこの二つの思想は矛盾しないだろうか。眼に見えないものが存在しないならば、眼を閉じて見ても何も見えないではないか。それを見ろというのはおかしくないか。確かに、眼を閉じたときにも
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