田村隆一論??フィクションの危険/葉leaf
にも何かが見え、それは眼に見えないものではないのだから存在する、そういう解釈も可能だが、どうも田村は、矛盾した思想を持ちつつ、その矛盾を自覚していないという節がある。そして、思想が矛盾していても詩なら許されるのではないか、そういう甘えがあったように思われる。田村はその詩において、軽々しく断定し、否定し、命令するが、その軽薄さは結局詩の言葉に責任を持っていなかったことに由来するのではないか。詩が絶対的な真実を語らなければならないと田村が信じていたとするならば、修辞によって思想をゆがめることもしなかっただろうし、思いつきで軽々しく思想を語ることもしなかったであろう。田村は詩に対して一種の甘えがあったと
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