さよならパリ??高塚謙太郎とボードレール/葉leaf
現在を生み出している者は、単純に過去を参照してそれと整合するように虚無を充填しているのかもしれない。だが、詩人の虚無との関わりはもっと深い。詩人は虚無を参照した上で虚無を充填しているのである。つまり、何もないところから詩行のきっかけをつかみ取り、それを何もないところへと投げ出していく。
彼女が、眼もあやな豪奢な宮廷服を纏い、夕暮の美しい大気に包まれて、広々とした芝生と泉水とに面した宮殿の大理石の階段を、しずしずと下りて来たとしたなら、どんなにか綺麗だろう!
(『パリの憂愁』「計画」)
蝉から時雨れていく。いずれから望まれ暮れていくか、という息に
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