さよならパリ??高塚謙太郎とボードレール/葉leaf
 
がそもそも不純であること、(3)比喩による和音が必ずしも自然に形成されてはいないことによる。ボードレールの音楽が印象派のような心地よい印象を作り出す友愛的な音楽であるのに対し、高塚の音楽は、セリー音楽のようにメロディーや協和音を否定して不連続に跳びまくる攻撃的な音楽である。

2.5.虚無の充填

 現在はなぜ生まれるのか。世界は過去で終わっていてもよかったはずである。にもかかわらず、次から次へと現在が生み出され、その現在が生み出される状況とはまさに虚無が充填される状況である。現在を生み出している者が何者かは知らないが、その現在を生み出すのと同じ作用を詩人は詩作行為において行っている。

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