死と解釈のふるまい/kaz.
 
うなものに、言語学者は語と意味を切り離すことで立ち向かった。そのようなものの見方は旧来から存在していたのだが。その概念の呪縛に立ち向かいたい心理的な欲求は、まさにこの二つの概念の統合から見出されるだろう。語と意味の切り離しという一手法は、概念の優位性を保障すべく与えられていたのである。

だが、まさにこの“概念の呪縛”のようなものが、語の優位性以前に心理的なものであるとしたら、既にこの語と意味の切り離し自体、何のためのものなのかが分からなくなってしまう。本来保障されるはずであった語の優位性は最初から錯覚であり、そこに何ら決定的な心理的欲求が絡んでいないとして、それをどのように証明すればよいか。
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