物語?半物語?物語/葉leaf
のない言説を前にすると、人間はその規範からの逸脱を既存の認知枠組みの中に回収できず、そこに謎を見出す。廿楽の詩や他の多くの現代詩は、その物語性からの逸脱によって、聞き手や読み手の既成の認知枠組みからはみ出ることで美感を生み出そうとする。
さて、そのような謎の投げかけがなされる場において、一体何が起こっているのか。物語を行為としてとらえる以上、そこには行為の主体と行為の受け手が想定される。行為の内容、すなわち詩のテクストに物語がない以上、人間の物語への欲求は、テクストの外側に物語を求めようとする。すると、そこには、書き手のたどる書かれざる物語、読み手のたどる書かれざる物語、があることが分かってく
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