二月へ/はるな
 
きた、代償のようなものが、いつかやってくるのだろうなと思うようになった。飢えているひとは多い。ねたまれることも多い。なぜ、そういう人々が、手に入れたいものを手に入れることができなかったのか、私にはわからない。努力が足りないようにも思うし、また、運がなかったようにも思う。しかしながら、私がそのような人々よりも努力をしたか、幸運であったかを考えると、あまり変らないように思うのだ。不思議だ。それでも、多くの人々は手に入れることができないものが多く、私は欲しいものは手に入れてきた。

たとえば代償というのは、欲しくて欲しくてしょうがないものを、どれだけ努力を積んでも手に入れることができない、とか、私の
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