遺書にはならない足跡/セグメント
 
だったとして、それでも私は同じことを望むだろうか。確かにストレスを覚えやすい性格ではあるようだから、きっと今後も辛いことがあれば何十倍にもしてそれを受け止め、泣くかもしれない。そして死んでしまいたいと思うかもしれないし、実際に死のうとすることもあるかもしれない。だが、私が今、見据えるべきなのは現状の環境という一点ではないだろうか。先のことなど分からない。死にたいと思わなくなるとは言えない。頭がおかしいのかどうかも分からない。しかし、上階の人間からフラストレーションを与え続けられて神経が疲弊して擦り切れそうになったから、私は死ぬのか? それはどこか違うのではないだろうか。たとえ今すぐには引っ越せなく
[次のページ]
戻る   Point(0)