詩の批評と題する散文批判/……とある蛙
 
は結局喩えの背景に読み取るためのロジックが用意されていないから独善に陥るのだと思います。
 もし、かような手法をとるにはやはり作者と読者との背景のロジックを理解するだけの共同体意識の成立が必要でしょうか。
第2に 書き手側にこの詩は難解だがすばらしい(?)と押し付けがましく書いている傲慢さがあるのかも知れません。
 共通理解がなく読んでいると読み手側が迷惑に感じることがあります。自分がインテリであることやナィーブなのだというような押し付けがましい詩はもっと迷惑ですが。
 結局同じような詩を書く人同士でうまいだのへただのやっている世界になってしまっています。

第3に 飛び抜けてうまくな
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