詩の批評と題する散文批判/……とある蛙
くなければ技術のみでは感動を与えられないにもかかわらず、少々うまい程度で感動が与えられると勘違いしている傲慢さが鼻につく表現がある(多い?)のかも知れません。
驚くほどうまければ感動すると思います。でもそのようなレベルがどんなレベルなのか接したことがないので分かりません(楽器の演奏など音楽の世界ではままあります。)。
作者の恣意に依存するところの大きい隠喩が多用されている詩は読みにくいし。恣意的な隠喩を出来るだけ避け軽やかな詩を書くべきである。と誰かも書いていましたが、これら留意して書いてもらいたいものです。
※隠喩中心の詩はもう卒業すべきではないだろうか と思います。
隠喩に
[次のページ]
戻る 編 削 Point(7)