【批評祭参加作品】文法に果敢に肉薄する文学/石川敬大
い。つまり、この詩が書かれたのが太平洋戦争開戦の三ヵ月前であり、その「もっとも困難な時代」、「詩人たちが詩をあきらめたその時節になって(中略)再び詩に向かう決意をする」という、そういう詩であったことを考え併せたなら、この「私」の、文法的に奇異な立ち位置というものの意味も、より明確に浮かび上がってくるのではないだろうか。
荒川はさらに書き記す。「詩人たちの書くものに比べて芸術的に整備されたものではなかったかもしれない。だが(中略)文法でたたかう、たたかいを挑む、そんな、人の姿があった」。「高見順の詩はいまも燃えている。燃えつきていない。そう感じるのは、ひとえにそのためだ」、と。
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