【批評祭参加作品】文法に果敢に肉薄する文学/石川敬大
 
ごつ感の魅力を解説している。冒頭の二連を引いてみよう。


  詩人が私に向って嘆いて言うには
  詩が失われたという いまになって
  詩を書きたく私はなった

  夙に私は詩を愛していたが
  詩が私のうちに失われた いまになって
  詩を書きたく私はなった


 ほとんどの行に「私」が出てくるが、それぞれの連の三行目にある「詩を書きたく私はなった」の「私」だけは、文法的に奇異な位置にある。その理由として荒川は、「意志の固さと、切実さを感じさせ」て、「私」は、「こんな読み取りにくい場所に」「立っていた」と読み解いている。ただし、この詩の時代背景を考慮しなければならない。
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