【批評祭参加作品】主観という自家薬籠中の物/石川敬大
 
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 表題作(タイトル省略)は、関西弁(大阪弁?)が目につき、耳につき、その次の『少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ』もその傾向はつづく。だが、以後じょじょに、いつの間にかといった感じで、書き言葉に変化してゆく。まぁ、そのことは良い、そっとしておこう、たいして重要な要素ではないから。関西弁の表記の、面白さと同時にある地域内で通用する感覚的なニュアンスの、地域外の読者には伝わりづらい面がすこし気になっただけだから。そのことよりも、作者の常に内にむかう視線というか、主観という内在性のフィルターを通した感覚的な文体に明確な特徴をみる思いがした。さらに作者である川上の、自意識によって言語化
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