【批評祭参加作品】主観という自家薬籠中の物/石川敬大
ひとつひとつその差異を指摘して、歴史の最後尾でゆっくりと歪に矮小化されて固着しかかっている流動体を、これは異質なものであると拒絶し、分離し、絶縁状態にしてしまい、消尽する方向に彎曲させる側の勢力に手を貸すことよりも、仮に無理無謀かとも思える困難さに直面しながらも、歴史のある一区画に正しく接続させることのほうが、詩を語る評者にとってははるかに難易度のある作業だと思う。
いかにつないでゆくのか、接続する接点をみいだすことに価値の軸足を移して、その発生する熱量を、じしんの内部で消化・吸収することは、他面において、衰弱しきった詩の生命力に対する多少なりの救命救助、あるいは援助の一助となるのである
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