【批評祭参加作品】詩と小説の境目「とげ抜き」について/石川敬大
をお借りしました」とあって、やっぱりそうかと納得するものを感じるし、江戸文化に直結したものも感じて、どこかとても懐かしくて不思議な世界を体感してしまうのだ。
声を借りる手法は、伊藤の発明品でも発見でもありはしない。以前から詩人のあいだではけっこう採用されている手法であり、特に吉岡実の晩年においては、その手法を徹底的に実験していることは知っている人は知っている事実であろう。だからといってその手法を採用していることが、この作品をして詩であることの保証にすることにはならないのは言うまでもないのである。
浄瑠璃は、語り物としての叙事詩的であり、説経節は近世初期の語り物文芸であるから、伊藤の
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