【批評祭参加作品】詩と小説の境目「とげ抜き」について/石川敬大
 
藤の『とげ抜き』を江戸文化に直結する口承文芸だとみるならば、この本は、戦後詩はおろか昭和のモダニズム、さらに近代詩の草創期にあった新体詩以前にまでたやすく遡ることになる。伊藤がはたしてそこまで考えて『とげ抜き』を書いたのだろうか。そして、この本を詩集として朔太郎賞という冠を被せた選者たちの意識に、そういった意識があったのだろうか。それよりなにより、初出の「群像」の編集者は、伊藤に小説を頼みはしなかったのか。毎月一作ずつ一年間、はじめから散文詩として、あるいはノンジャンルの読み物を要求したのだろうか。わたしの謎は深まるばかりだ。だれか、これに回答を与えてはくれないだろうか。話をもどそう、選者の話だった。その選者たちに、もし口承文学としての江戸文化に直結したものをみていたとするなら、エポックメーキングとなるべく待望されていたこの本は、ターニングポイントとなることも確約されていたことになる。そしてまた『先端で』によって中也賞を与えた選者たちの意識もまた、そのことをしっかり認識していたのだとも言えるだろう。

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