【批評祭参加作品】詩と小説の境目「とげ抜き」について/石川敬大
てわたしが、この『とげ抜き』に詩性をまったく感じなかったわけではないし、断固として詩とは認めないと強く思っているわけでもない。いやむしろその逆で、わたしがこの本のどこかに詩性を感じたからなおさらそれを知りたい気持ちが涌いてきたのだ。いったいどこに詩が潜んでいるのか、と。
『とげ抜き』の『伊藤日本に帰り、絶体絶命に陥る事』で表現されている内容の、母と娘、母にとっては孫に当たるじぶんの娘との三人の関係性のことなどを言挙げしても、詩性の在り処に関する問いにまったく接近したことにはならないだろう。『母に連れられて、岩の坂から巣鴨に向かう事』の、東京弁の「ひ」音のかわりの「し」音といった言葉に対する
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