【批評祭参加作品】詩と小説の境目「とげ抜き」について/石川敬大
 
なるだろうし、この客観的な出来事によって、後発の『先端で』(これも以下そう略す)を、詩集としてたやすく認知することを誘引しただろうことはいえると思う。

 混乱の端緒には『とげ抜き』があった。

 もし詩の賞を受賞しなかったなら、『とげ抜き』や『先端で』をだれもが詩集として取り扱っただろうか。書店員は、図書館員は、書棚に移す時に詩集の棚に並べただろうか、それとも小説の棚に並べただろうか。しかしながらなにも、わたしはこれらの本を腐そうと思って言っているのではない。この小説に似た文体、体裁が散文の、どこに詩が潜み、どこに選者たちは詩性を感じたのか、そのことが知りたいだけなのである。かといってわ
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