【批評祭参加作品】無意識と創造性/……とある蛙
なり観念なりを定着させて行くような。
どうも主体的に創造している感覚は無い。
(私の考えは次のとおりです。)
二人の結論は全く正反対のようにも思える。しかし、ご両人ともソシュールが言うところのラングが豊かでなければ、創作活動(これはパロールである)も豊かになれないとしている。
ラング自体 時代相に左右されるから結局文芸作品は時代の子にならざるを得ない。その意味では大江のいうとおりたんなる無意識から文芸作品は生まれ得ない。
ただ谷川俊太郎の言うような機序で詩作がされることも多い。
私は無意識の中に言語化されること(つまり顕在化が予定されている無意識)と言語化されることの予定
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