【批評祭参加作品】近代詩へのリンク ー富永太郎試論ー/石川敬大
ーロッパの世紀末的風潮の厭世的気分が横溢していたという。しかし「社会への無関心、自然現象への冷淡さは、彼の一特徴であ」(北村)り、富永は世間に煩わされることを嫌った。関心事は自我であり、衰弱してゆく肉体であった。ゆえに「私は私自身を救助」(『秋の悲歎』)することだけが彼の生活、言文一致体の口語詩のエクリチュールに転化された彼の生のすべてであった。身体の衰弱を基礎とした鋭敏な感受性にとってそれは、ボードレールの世紀末的デカダンスに親近感を覚えるとともに、日本の近代と地続きである西欧との出会いでもあった。フランス・サンボリズムがボードレールからランボーへどのように引き継がれたか詳らかに述べることがわた
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