【批評祭参加作品】近代詩へのリンク ー富永太郎試論ー/石川敬大
わたしにはできないが、表現はより尖鋭化され戦闘的に継承されただろうことは想像できる。したがって富永がランボーへとシフトするのは当然の帰結であった。小林がどこかに書いていたように、富永にとってランボーとは近代からの遁走であり救助であった。それほどまでに富永の表現スタイルの更新は足が速かったと言える。さらにわたしがここでつけ加えておきたいことは、鮮烈な書き出しから転調した後の「かの女」に対しての「千の静かな接吻」と続く展開についてだ。私生活による人妻との恋愛事件が二十歳という多感な時期に与える影響と、姦通罪のある時代背景、両親が表立って先方と交渉に当り仙台を去ることを条件に示談が成立したという当事者意
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