【批評祭参加作品】近代詩へのリンク ー富永太郎試論ー/石川敬大
何も富永の詩がランボーの日本語版であると言いたいのではないし、北村が解説で「マラルメの散文詩『秋の悲歎』と『冬の戦慄』が即座に思いうかべられる」と書くのを肯定するわけでもない。たとえ「漢語と翻訳体というものの結合から成り立って」(大岡)いて、スタティックで硬質、どこかパセティックでキリスト教的な祈りの思いも併せ持ち、短いセンテンスの断言口調で、垂直性すら感じられるところに、ランボーの詩法を濾過した相似形を見るものの、「対自的な意識の構造をもったメタフィジカルな世界」(北川透『中原中也の世界』)には、実は観念が勝って社会との隔絶感が色濃く、ランボーの対社会的な批評意識が強い詩とは一見相似ても相違の方
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