【批評祭参加作品】近代詩へのリンク ー富永太郎試論ー/石川敬大
 
る運
 動を、望楼の上にねそべつたり防波堤の上に頬杖
 ついたりしながら眺め、もはや好奇心も野心もな
 くなつた人間にとつて、一種の神秘的な貴族的な
 快楽があるものである。     (『港』全篇)

 時代によって刻印された言語表記の送り仮名や促音処理などの扱いに目を瞑れば、先に引いた永井荷風訳著の『珊瑚集』のボードレール『秋の歌』、ランボオ『そぞろあるき』との違いは一目瞭然だ。翻訳は、決して外来語の母国語への置き換えなどではなく、その翻訳者の内部で外来語を消化(置換)する過程においてなされる創作なのだとわたしは言いたい。そう言いたくなるほど富永の翻訳とオリジナルの詩は同一レベルに置
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